idea factory from newspaper 2003 9 7

パレスチナ情勢(Palestine)
 もう、行き着くところまで、行かないと、わからないのでしょうか。
しかし、戦争というものは、50年という尺度で見なければならない。
さらに、戦争というものは、人口が多い方が有利である。
 双方とも、100万人の戦死者を出したとしても、
人口が1000万人の国と、人口が1億人の国では、意味が違う。
 戦争とはゲームではない。
愚行を繰返してはならない。
 マスコミは、戦争のきれいな部分しか報道しない。
これでは、間違えば、戦争の美化になってしまう。
あえて、戦争の現実を報道しないと、戦争の悲惨さがわからない。
 最近の人たちは、テレビや写真で、具体的なものを見ないと、
戦争の悲惨さが理解できなくなったかもしれない。
 こうしないと、戦争は愚行であると理解できないならば、
それは、人類の退化かもしれない。
 実際に戦争を体験してみて、
戦地で、バラバラになった戦友の遺体の塊をかき集め、
遺族の元に送り届ける。
そんな体験をしないと、戦争は悪であると、わからないのか。
 戦争とはゲームではない。
敵を殺さなければ、自分が殺されるという戦争の本質を理解しているのだろうか。

金融楽観論への疑問(warrant no optimism)
 「株高・債券安の得失は」という記事を読んで、
まったく同感であると思いました。
 銀行自体が、債券相場の下落に、もろい体質になっていることを忘れてはならない。
株価上昇の速度に対して、金利上昇の速度が勝った時、悲劇は始まる。
想定される金融システムのリスクについて、シナリオを作るべきです。
今回の株高は、金融機関にとっては、あくまでも鎮痛剤にしかすぎない。
 今後、株高が進行していって、製造業を中心として多くの業界が大喜びだが、
金融機関だけが悲劇になったというシナリオもあり得る。